【スペシャルトークセッション】村上龍×秋元康×ローソンCEO新浪剛史
今年の受賞者には、作詞家の秋元康氏と株式会社ローソンの代表取締役社長CEO新浪剛史氏が選ばれた。そして審査には、シーバスリーガルアンバサダーで世界的著作家である村上龍氏が特別審査員として参加。
今回は、授賞式後に行われたスペシャルトークセッションの内容をお届けする。
【Photo&Report=livedoorHOMME編集部】
秋元康:1956年東京都生まれ。高校時代から放送作家として頭角を現し、『ザ・ベストテン』など数々の番組構成を手がける。83年以降、作詞家として、美空ひばり『川の流れのように』をはじめ、中島美嘉『WILL』、EXILE『EXIT』ほか、数々のヒット曲を生む。09年12月、第51回日本レコード大賞・特別賞をAKB48とともに受賞。TV番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの企画構成、雑誌の連載など、多岐にわたり活躍中。
新浪剛史:1959年神奈川県生まれ。ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。三菱商事株式会社 生活産業流通企画部 外食事業チームリーダー、同社ローソンプロジェクト統括室長 兼 外食事業室長、コンシューマー事業本部 ローソン事業ユニットマネジャー 兼外食事業ユニットマネジャーなどを歴任。2002年、株式会社ローソン顧問就任。同社代表取締役社長執行役員を経て、2005年より代表取締役社長 CEOに就任、現在に至る。
村上龍:1952年長崎県生まれ。76年『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞、『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、「半島を出よ」では野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。『トパーズ』『KYOTO』で映画監督も務めた。最新作は『心はあなたのもとに』。日本の金融・政治経済の問題を考えるメールマガジン『JMMを主宰し、経済トーク番組『カンブリア宮殿』(テレビ東京/毎週木曜日22時OA)のホストも務める。
新浪剛史:1959年神奈川県生まれ。ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。三菱商事株式会社 生活産業流通企画部 外食事業チームリーダー、同社ローソンプロジェクト統括室長 兼 外食事業室長、コンシューマー事業本部 ローソン事業ユニットマネジャー 兼外食事業ユニットマネジャーなどを歴任。2002年、株式会社ローソン顧問就任。同社代表取締役社長執行役員を経て、2005年より代表取締役社長 CEOに就任、現在に至る。
村上龍:1952年長崎県生まれ。76年『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞、『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、「半島を出よ」では野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。『トパーズ』『KYOTO』で映画監督も務めた。最新作は『心はあなたのもとに』。日本の金融・政治経済の問題を考えるメールマガジン『JMMを主宰し、経済トーク番組『カンブリア宮殿』(テレビ東京/毎週木曜日22時OA)のホストも務める。
MC:今年は秋元康さん、新浪剛史さんのお2人が選ばれましたが、こちらの選考に関してはどのような感想を持たれましたか?
村上龍(以下、村上):当然の受賞という感じではないでしょうか。いま、日本経済が停滞していますので、やはり輝いている人は突出して見えてしまいますよね。いま、輝いている人がすごく少ない時代なんですよ。「カンブリア宮殿」という番組をやらせていただいてるのですが、ゲスト選びが本当に大変なんです。
MC:パッと見の印象ですが「動」というイメージの新浪さん、どっしりと構えている「静」のイメージの秋元さんという対照的な印象ではありますが、2011年の日本を明るくしていただいたお2人というところが共通していますよね。
村上:秋元さんは表現者だから、どこか暗いんですよ。表現者で新浪さんみたいな人は少ないですよね。やはり経営者という雰囲気です。表現者はどこか暗くないとダメですよ(笑)
MC:村上さんはお2人ともご友人というか、お付き合いがあるんですよね。ではお話を始めていきたいと思います。
“たかがアイドル”だからこそできることがある―――秋元
村上:やはり昨年はなんと言っても東日本大震災という未曾有の災害がありましたよね。その“3.11”以降、明確に「変わった」ということはありますか?まずは新浪さん。自分自身のことでも、ビジネス面でもどちらでもお話を伺えますか。新浪剛史(以下、新浪):ビジネス的にすごく変わったというよりも、震災時の我々の活動(震災直後、被災地への商品供給を最優先したり、いち早く仮説店舗を設置したり)を周りからすごく良い形で評価していただいたことを受けて、そもそも会社っていったいなんだろうって改めて考えましたね。震災直後に現地に行ってみたのですが、ホントに酷い状況だったんですよ。そこで、この町や村が復興しないことには、僕らのビジネスはありえないわけで、結局コミュニティーや人がいなことには商売にならないというのは実感しました。
だから、いつも当たり前のように思っていた、お客さんや人がいるという状況を、まず復興させなくちゃいけない、そのために何かやれることはないか、と思ったんですよ。いわゆるビジネスの「原点」というものを考えさせられましたね。
村上:秋元さんはどうですか?
秋元康(以下、秋元):僕は日本という国をもう一度考え直しましたね。この国をどうするべきか、どうやって被災地を応援するべきかなと。でも、自分にできることなんてたかが知れてるんですよ。とくに僕のやっているAKB48なんてものは、たかがアイドルじゃないですか。でもそのたかがアイドルってところにポイントがあると気付いて、「たかがアイドルでもこれぐらいできるんだぞ」ってところまでやろうと思いましたよね。たかがアイドルが一生懸命にチャリティーやったり、被災地に何度も足を運んだり、あるいは歌で応援すれば、もっと偉い力のある人たちが、もっとやってくれるんだろうというきっかけになるのかなと。ちなみに(村上)龍さんはどうですか?
村上:僕ですか? 僕もお2人と同じようなことはもちろん思いましたけど、あのとき、多くの人がものすごくショックを受けて、何かがものすごく大きく変わったじゃないですか。あるいは変わらなきゃいけないというプレッシャーもあったりで。その中で「文明論的な大転換点」とか言い出す人が出てきたんですよ。僕、そのあたりからちょっと違和感を持ちはじめたんですよ。
それで、これだけの大災害が起こって、風景も人の意見も変わる中で、逆に変わらずあるものを探してみようと思ったんですよ。大震災の前から変わらずにあるものってなんだろうって。まだ答えは完全に出てはいないんですけど。逆に変わらないものを探そうと思いましたね。って、僕が喋ってもしょうがないでしょ(笑)
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