トップランナーになるために〜HONDAのエコ活動 第1回目
一方、経済界では温室効果ガスの大幅な削減は企業経営を圧迫するという意見が趨勢を占めているようだ。確かにこの不景気の中で経営コストに環境対策費が追加されるわけだから、「大幅削減には既存産業から血が流れることを覚悟して産業構造を転換しなければならない」という意見にもうなずける部分が多い。
だが、逆に環境対策を企業の使命と位置づけ、市場を勝ち抜くための武器として戦略を立てている企業もある。そのトップランナーとも言える企業が本田技研工業株式会社(以下ホンダ)だ。今回はホンダの環境安全企画室室長の篠原道雄氏(以下篠原と表記)に環境への取り組みを聞いた。
――ホンダは企業として多くの環境対策に乗り出しており、先駆者的な立場にいると思うのですが、なぜそこまで環境対策に取り組むのか、その理由をお聞かせ下さい。
篠原:ホンダが全力で環境問題に取り組んでいるのは、環境対策によってホンダが世界的に知名度を上げた、という歴史があるからなんです。かつて、1960年代は自動車と工場の排気ガスによる大気汚染が深刻な問題となっていました。東京では環状八号線周囲で頻繁に光化学スモックが多発していましたし、アメリカのカリフォルニア州でも同じように大気汚染が広がっていたと言います。そこで1970年、アメリカでは大気汚染を防止するための法律、通称マスキー法が制定されました。マスキー法とは1975年以降に製造する自動車の排気ガス中の一酸化炭素、炭化水素(HC)の排出量を1970-1971年型の1/10以下に、1976年以降に製造する自動車の排気ガス中の窒素酸化物の排出量を1970-1971年型の1/10以下にしなければ販売させない、という法律です。
――厳しいですね。ホンダはどのように切り抜けたのですか?
篠原:当時、マスキー法の規制に準拠したエンジンの開発は世界中のメーカーが不可能と匙を投げるほど厳しいものでした。しかし私たちは、モビリティメーカーにとって環境対策は使命であると同時にチャンスでもあると考え、クリーンなエンジンの開発に取り組みました。それこそレース活動なども自粛し、自動車の排気ガス削減に総力を傾けたのです。そして1972年にマスキー法の規制に則ったCVCCエンジンを発表すると、一躍ホンダの名前が世界的なものになりました。
――この時期はオイルショックもありましたね。
篠原:まさにその1973年の第1次オイルショックは今でもホンダにとって神風と言われています。私が自動車免許に2週間で合格した、というのは冗談ですが(笑)、ガソリンの高騰により、燃費の良い自動車のニーズが高まりました。おりしもCVCCを搭載したシビックを市場に投入した年で、ホンダは四輪自動車の開発では最後発でしたが、排ガスが少なく燃費の良い自動車を発表したため、一気に世界的な需要が拡大し、商売を大きくすることができました。
――この出来事から環境対策はホンダの武器であると意識するようになったのですね。
篠原:そうですね、通常であれば環境対策はコストがかかるという意識があります。しかし、その意識を転換してどの企業よりも早く環境対策に取り組んだことで、本田というブランドイメージを高め、経営規模を広げることができました。だからこそ、製品の環境性能は商品の魅力と同じくらい重要だという意識を40年以上も前から持つようになったのです。CVCCの開発以降、お客様からはホンダの自動車は「燃費もいいし排ガスもきれい」というブランドイメージを持っていただくようになりましたし、私たちも環境対策の分野では負けたくない、常にそのトップであり続けたいと考えています。
通常であれば環境対策は企業経営を圧迫するという印象をもってしまう。しかし、法律規制という逆風を企業が飛躍するきっかけに変えてしまったホンダ。この企業スタンスは、まさに勝者のメンタリティーともいえるのではないだろうか。そしてこの勝者のメンタリティーにより、ホンダは現在も環境分野でもトップを走り続けている。
次回はホンダの最新技術を駆使した環境戦略をご紹介します。
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