インタビュー:キングコング「楽しくないことはしたくない」


テレビのバラエティ番組などで笑いを巻き起こす、お笑い芸人。彼らは、自ら望んで失敗するリスクの高い「芸能界」に飛び込んだ猛者だ。厳しい環境の中で、彼らはどのようにして生きる場所を見つけていったのか。その処世術について語ってもらうインタビュー。

第2回のゲストは、キングコング。19歳のときに吉本総合芸能学院(NSC)で出会った西野亮廣と梶原雄太は、20歳でフジテレビのバラエティ番組「はねるのトびら」のメインMCに抜擢される。下積み無しに、第一線のステージに放り込まれた葛藤と、それを乗り越えさせた原動力について、7月28日から漫才の全国ツアー「KING KONG LIVE 2010」を敢行する二人の楽屋にお邪魔し、話を聞いてきた。

――お二人が芸人になろうと思ったキッカケは?

西野亮廣(以降、西野):僕は小学校の2年生くらいだと思います。「加トちゃんケンちゃん(ごきげんテレビ)」を見て、いいなぁと思うようになりました。あと、とんねるずさんとか。

――吉本興業の芸人さんに憧れていたわけでは無いんですね?

西野:そうですね。小さい時は誰が吉本とか分かっていなくて。新喜劇は見ていたんですけどね。なぜか、「加トちゃんケンちゃん(ごきげんテレビ)」でゲラゲラ笑っていた記憶があります。なんか楽な仕事やなぁと思ったのが最初ですね。

――梶原さんは?

梶原雄太(以降、梶原):小学生の頃から、人を変な顔とかで笑かすのが好きだったんですよ。で、お笑い芸人になりたいっていうのもあったんですが、もう一つ、スポーツ選手になりたいっていうのがあって、どちらかというとスポーツの方が現実的かなぁと思って、サッカーをやっていました。でも中学の終わり頃から、やっぱりお笑いやりたいなって思うようになりました。僕はとんねるずさんの影響がデカイっすね。ほんま好きなことやってんなみたいなイメージがあって。当時、「生ダラ(とんねるずの生でダラダラいかせて!!)」とか見てて、ええなぁって思ってましたね。

――その後、NSCに入学するんですよね。

西野:そうですね。小学校2年くらいの時からお笑い芸人がいいなぁと思って、そのまま歳とって、高校卒業してスルスルーっと流れで入りました。

――お笑い芸人で成功するのは、ほんの一握りの方だけだと思います。他の職業に比べて失敗するリスクが高いと思うのですが、それでも芸人の道を選んだというのは、売れる自信があったからでしょうか?

梶原:全然、そこは考えてなかったですからね。がむしゃらですよね。売れへんかったらどうしよとかいう発想が無かったですからね。大体、サラリーマンとかできひんやろなとか思ってたし。ただ、5年で無理やったらやめようとは思ってました。

――西野さんはいかがですか?

西野:今もそんなに売れてないんですけど、その当時で言うたら、あるのかなぁ。あんまり考えてなかった気がしますね。気がついたら、お仕事させてもらえるようになっていました。でも、NSCの時に、各々が作ってきた漫才を披露するんですが、その時は、これ客前に出たら持ってけるなぁみたいなのは思っていましたね。いま思うとすごい勘違いなんですけど。もちろん、先輩方に比べたらまだまだでしたけど、そこには持っていけるやろうなぁとボケーっと思ってました。

――そのなんとなくの自信が確信に変わった瞬間は?

梶原:売れるというより、NSCの中で一番になりたいっていう思いが強かったんですよ。当時は別々のコンビをやっていて、月間MVPっていうのがあって、800人おって4組だっけ?

西野:600人やけどな。ちょっと話を盛るとこあるけど(笑)。いや、600です。80人の8組なんで(笑)。

梶原:ま、でも大体800人(笑)。

西野:ちょっと盛るクセがあるので、すみません。
 
梶原:来てないヤツら入れたら800。

西野:多くの中から選ばれたみたいに言いたい気持ちは分かるんですけど、正直600ですね。これ残念ながら(笑)。640なんですね、80の8クラスやったんで。

――はい。

梶原:来てないヤツもいて、当時4組に選ばれて。運よく僕らのコンビと西野のコンビが選ばれました。ごっつい気になってたりするんですよ。とりあえずそこで一位になりたくて、ちょっと偵察に行ったり、どんなヤツやねんって。なんかでもコンビ組めて。

――それは、何か事件があったんですか?

西野:月間MVPのヤツらだけでオーディションみたいのを受けさせられたんですね。そしたら、もう一人同期でやってたヤツがおるんですけど、そいつがオーディションに通ったんですよ。ほんで、「吉本アホちゃうか? あんなヤツ、なんもないよなぁ」って、そいつの悪口を二人で言い合ってるうちに、しゃべるようになりましたね。だから人の悪口から(笑)。

梶原:俺らの方がおもろいよなぁって(笑)。

西野:悪口から。最低ですよね、だから。

――じゃあ、見返してやろうと思った?

梶原:そっから2カ月後くらいに組んで。

――組んでみていかがでしたか? やっぱりそれまでのコンビとは感覚的に違った?

梶原:最初は、どっちボケする? みたいな話をしましたけどね。西野もボケだったんですよ。ハゲで僕もハゲで。

西野:坊主な!

梶原:僕が坊主で、西野はハゲやったんですよ。

西野:じゃヅラやんけ、今(笑)。

梶原:そこから話し合って、どうする? みたいな。

――西野さんは、ボケで行きたい気持ちはあったんですか?

西野:いや、あんまりなくて、二人ともそうだったんですが、どっちでもええわっていう感じだったのと、見た目からしてこうだろみたいな。でも、ツッコミの方に回って、恥ずかしかったですね。「なんでやねん」とか、そんなに人にツッコんだりすることが無かったので。

――意外ですね。その時の目標は何でしたか?

西野:とりあえず、NSCで一番。みんな4月から組むところを、キングコングで組んだのは9月くらいだったので、こりゃ急いで取り返そうっていうことでしたね。

――そこからはトントン拍子で?

梶原:中間発表会っていうのがあって、そこで運よく爆笑をかっさらったんですよ。その時に支配人が目をつけてくれて、オーディションみたいなのを受けさせてくれて。それが全てのスタートでしたね。

――じゃあ、下積みの苦労みたいなものは経験せず?

西野:苦労したといったら、ステージを与えられてからの方がありました。力不足で、ステージをちゃんと消化できないっていう。

梶原:バーっと出始めてから、西野とコミュニケーションを取る時間が意外と短かった。で、なんかもうむちゃくちゃ喧嘩してましたね。ま、僕が一方的にキレられてたんですけど(笑)。要は、僕の仕事がすごいあるんですよ。ボケて前に出たりとか。18、9のクソガキなんで、なんのこっちゃわからないまま、あれよあれよとお客さんの前でコーナーとかやってたりして。西野に「お前もっと前に出ろや」って言われるんですけど、「出方わからへんねん」って言いたくないですから、プライドもあるし。「はぁ?」みたいな。

西野:むかつくでしょ (笑)?

梶原:なんかケンケンしてるときですよね。どうしていいか、わからへんかったですからね。周りの芸人さんは何年もやってる人たちで面白いですし。一番ヤバかったんじゃないですか、キングコングの中で。

――それが、穏やかになったのはどうして?

西野:あんまり干渉しないっていうのはしてますね。相方が一人でやってることは、一切口出ししない。あとちょっとずつ、ここはこうやった方がええんやなぁというのを勉強しだして、芸暦も重ねてきました。今はとにかく仕事が楽しすぎて、別に相方がスベってもそれも面白いし。「あいつテレビで損してやがる、ざまぁみろ」くらいのことになりました。一回どうにかなったくらいではコケることはないだろうと。昔はもうちょっと不安だったので。

梶原:余裕が無かったんですよ。

――なるほど。それぞれ余裕を持たれて、二人の間に快適な距離ができて。

梶原:今はそうですね。

西野:11年目ですからね。

共有する

関連記事

【カオス通信】マニアック芸人の明日はどっちだ?

ドラゴンボール、ドラえもん、ルパン三世などのメジャーなアニメ・漫画ネタはお笑いの世界でもよく見かけます。これはお笑い芸人の中にもアニメ・漫画好きが多いことを証明するものですが、これが「ガンダム」や「萌えアニメ」になった…

【ケータイラボ】au初のテレビ電話対応機種「W47T」

持ち歩いてさっと使う携帯電話にテレビ電話なんて必要なのかなぁと最初は思ったものだ。カップルや親子同士などではアリなんかなぁなどと思ったりもしていた。しかし、知り合いの聴覚障害者がテレビ電話機能を利用して手話で会話してい…

【アキバ物欲】パソコンの高速化からテレビ化まで!Vista対応周辺機器特集

2007年1月31日、マイクロソフトの新しいOS「Windows Vista」(以下、Vista)が発売された。同社が販売するコンシューマー向けのOSとしては、Windows XPの発売以来5年ぶりのOSとなるだけあり、パソコンユーザーの反響も大きく、パソコ…

【ケータイラボ】お風呂でテレビや通話が楽しめる!ウォータープルーフ・ワンセグ「W52CA」

■濡れても大丈夫なケータイはありがたい多機能で便利になったケータイだが、まだ困ることは多い。例えば、水洗いをしたりして手が濡れているときに電話がかかってきたときだ。そのまま電話にでることはできないので、手を拭いてから電話…

【カオス通信】お笑い芸人(吉本興業)の漫画界進出に明日はあるか

お笑い×漫画のコラボが話題の漫画雑誌「コミックヨシモト」。創刊号は当初「30万部完売」が目標とされていましたが、実際は15万部程度に留まったと聞きます。雑誌の売り上げは発行部数の7割を越えるのがひとつの目標とされていますので…